資本論を読み現代を検証する

資本論を読み現代を検証する

資本論が古くなったのではない。現代資本主義が欲望の虜(とりこ)になったのだ。格差・階級社会はどこからくるのか? その秘密を暴く。妖怪の資本主義を超える道はある。

K・マルクス 向坂逸郎訳『資本論(全三巻)』(岩波文庫)

『古代国家』(モルガン)、『経済表』(ケネー)、『諸国民の富』(スミス)、『婦人論』(ベーベル)、『資本論』(マルクス)、『帝国主義論』(レーニン)、『最高の金融帝国 アメリカ独占資本の構造と機能』(パーロ)、『アジア的生産様式』(テーケイ)などを読んだのが、もう50年も前の大学生の時のこと。以降、マルクス主義といわれる理論モデルに照らして、様々な研究を進めてきた。ベルリンの壁の崩壊後の東西冷戦の終焉とともに、マルクス主義経済学は退潮傾向を示し、今ではピケティなどほんの一握りの人しかこの理論世界を知らない。

既存の社会主義国は、初期の理想からは程遠く、独裁政治と国家帝国資本主義の膨張政策を突き進んでいる。しかし、『資本論』が提示した資本主義の分析モデルは今尚健在だ。否むしろ寄生と腐朽化と欲望化を突き進んでいる社会経済の的確な分析力は、新自由主義といえども、足元に及ぶものではない。まずは、ブログでこの試みを現代資本主義の検証を進めたい。いつ終わるとも知れないたびに出るようなものだが、これまでに行なった研究に立脚し、研究の蓄積の利子がこの作業を支えてくれるものと確信する。(2018.1.31)

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研究の自由・独立

研究の自由・独立

本書は、大学の現状と方向性を、筆者の経験をもとにエッセイ風にまとめたものです。筆者は、まだフルタイムの現役の大学教授をやっているので、所属する大学や付属機関のことの詳細に関しては、守秘義務がありますから、一般論で書くしかありません。私たち大学の教員とスタッフが、日々業務をこなすときには、膨大な量の個人情報や機密事項を扱い、そのようなことまで、軽々しくオープンにすることはできないからです。と言っても、問題の所在をはぐらかすわけではありません。

現に、毎年年度末になると、シュレッダー専門の車両が来て、各スタッフは、機密書類などをダンボールに入れて持ち込み、処理してもらいます。仲村輝彦の場合だと、機密書類は大きめのダンボール三か四つに相当するといいます。個人情報や機密文書をUSBに入れて持ち歩くことは原則禁止で、メールに添付することも同様です――仲村がそう思っているだけで、規程上どうなっているのかは、実際のところ知りません。先日、仲村がある自治体関係の方と雑談していたら、「うちの職場はUSBの持ち歩きと、メール添付は禁止」と言っていたと言います。

先日、ある学会で、仲村教授が懇意にしている人と雑談していましたが、その時の会話です。相手は早坂一郎と言います。

「仲村先生、大学の研究って、こんなものでいいのでしょうか」早坂準教授は、キャンパスの大きな銀杏の木の下のベンチに腰かけて、ため息ながらに言います。

「うーん。早坂先生。業績を積み重ねて、上位の職階に登るのが使命ですから。大学の教師といっても、普通のサラリーマンと、職能的、形式的には何ら変わりはありませんよ。女房、子どもを養わなければならないし、こういう言い方は問題ですか、何かとお金が必要な世の中、大学の方針に従うしかないでしょう」

「そうはっきり言われると・・・・・・でも、点数稼ぎで研究発表をやると、研究の質が低下します。データ改ざんにつながるのは、基本的にそういう原因からではないでしょうか。研究がポイントに換算されることを考えて論文を書くのは邪道です」

研究正義感の強い早坂準教授は語気を強めて続けます。iPS細胞の中山教授の研究室でも、ついにデータ改ざんが発覚しました。新聞報道によれば、人工多能性幹細胞(iPS細胞)に関する論文で不正が見つかり、論文の図が捏造・改ざんされており、京大は掲載した出版社に論文の撤回を申請したというものです。(2018年1月22日)

「先行研究を並べ立てて、しかも学会の重鎮の説には逆らわないように。それを無視すると、いかに社会のニーズに対応した研究でも価値がない、けしからんとなる」

仲村教授は、この準教授の青臭さに多少腹を立てて、

「まあ、しかし、それは有名になるために払わなければならない有名税みたいなもので、教授になったら、自由に自説を唱えることが出来るのではないですか。先生の仰る正義感はポストを手にしてからでも十分じゃないですか。先生の言うことはごもっともだと思いますがね」

仲村教授よりも若い早坂準教授は、顔を曇らせます。

「学会の研究の枠の中でしか、世界を見ることができなくなってしまいます。そういう癖がついてしまうと、もう足を洗えません」

准教授は自説を曲げません。仲村教授は、教授職にありますから、早坂の悩みはもう過去のことです。

「大学の研究は、世間の下世話から自立していないといけないと思うのです」

准教授は、食い下がります。

「仰るとおり。学問の独立・自由ですね」

このあと会話が続きますが、いきなり、深みに入るのはやめて、次に、この本の趣旨を述べたいと思います。もうお分かりでしょうが、以下、ノンフィクションとフィクションの中間のような形で、話を続けることになります。(続く) お問い合わせ

加計学園の開学認可について

2017年11月14日にも、懸案の加計学園設置正式認可が行なわれるようです。設置審議会では、いわゆる石波4条件に抵触するとして、疑問を挟む委員が多かったそうですが、決まったことだからと、文科省は取り合わなかったそうです。

一方、教育効果が疑問視され、高齢教員が多いことから、十分な教育効果が得られるのか、疑問視されます。定員を当初の160名から140名に、教員を補充することで、教育効果を高める修正案が出されたそうですが、20名を韓国からの入学でまかない、しかも通常行われる日本語等の事前教育も出来ないでしょうから、初年度は惨憺たる定員確保になることは間違いないでしょう。

14日からの衆院文教科学委員会、参院でも審議され、希望、立憲民主など野党からの集中砲火が予想されます。筆者は度々指摘したのですが、この加計学園岡山理科大学獣医学部設置問題は、国家戦略特区とは聞こえのいい話ですが、加計学園については、既存の千葉科学技術大学も含めて、自治体からの資金・土地援助に群がり、既存学部学科の赤字解消を進めようという、経営破たんの自転車操業での先延ばしに、規制緩和という美名に隠れて行ってきたことに、根本的な問題があるということです。

平成30年4月開学に強引に持っていったのは、経常経費補助等が入らなければ経営破たんにつながるからだという見方もあるほどです。自治体への経営委譲または土地の無償譲渡(貸与)という自治体協力方式は、長期的ビジョンを欠き、将来負の遺産として地域に重くのしかかってくることは目に見えています。

幸いなことに(?)、今治市にとっては、学部が経営破たんした場合、建物を撤去して土地を市へ返却することになっています。初年度の入学生が卒業する平成36年以降、定員割れ等でこの懸念は現実のものになるのでしょう。留学生に依存する割合が増えれば、石破四条件はますます空洞化し、厳しい検証を求められることにもなるでしょう。

獣医学部とて、最先端のライフサイエンス研究とは言っていますが、2018年問題の先に学生募集難という厳しい現実問題があるのです。設置認可する側が、認可するだけしておいて、「後は野となれ山となれ」ではあまりにも無責任ではありませんか。(2017.11.13)

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社会時評

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 明けましておめでとうございます。

2018年1月、新しい年が来ました。すでに報道されているように、今上天皇(明仁第125代天皇)は2019年4月末を持って退位され、平成の元号が変わることになりました。昭和、平成と長い時代を見てきましたが、天皇の思いはどのようなものなのでしょうか。押して計ることも出来ないのですが、平成の時代とは一体どのような時代だったのでしょうか。終戦直後、マッカーサーと明仁天皇が始めて会見したときの緊張したエピソードも、もう古い過去のことになってしまいましたが。

このホームページは「社会時評」となっています。実を申せば、私は、昭和は太平洋戦争終戦後間もない頃の生まれで、小学校の頃に明仁天皇の結婚式の行脚を旗を振りながら見た世代です。そういう意味で、昭和と平成は切っても切れない歴史の連続性と認識しているのですが、歴史はどんどん変わり更新されています。ここら辺りで、平成の歴史とはいったいなんだったのか、考えてみたいと思います。

平成元年といえば、確か消費税が導入されてた年でした。消費税についての講演を頼まれて、全国を飛び回っていたことを懐かしく思い出します。ベルリンの壁が崩壊したのも、この頃ではなかったでしょうか。社会主義と資本主義の対抗図式(東西冷戦構造)の中で生きてきた世代にとっては、とても衝撃的な体験でした。それまでの価値観が、根底からぐらつく思いでした。でも、そうした激動の時代も、正確な年号が思い出せないくらい、遠い過去のことになってしまいました。反対に、今でもはっきりと記憶に残っている事件があります。それは、阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件、それに中央アフリカで猛威を振るったエボラ出血熱騒動です。この三つの事件は、忘れようとおもっても決して忘れることができません。中東のテロ集団による、アメリカ貿易センタービルの破壊事件は、何年だったでしょうか。

こうして、高々30年間の時間空間ですが、いろんな出来事がぎっしり詰まっていて、その意味内容と解釈は人それぞれでしょうが、この30年間に埋め込まれて時空に何を見出すか、それが、今問われていると思います。巷では「北朝鮮危機」「憲法改正」「2025年問題」「地球温暖化」などが「平成の大問題」として論じられています。平成の大問題は、ポスト平成の大問題です。

すでに、「平成」を冠した本や雑誌が発売されるようになっており、またブログや、HPも見受けられるようになりました。このブログは、もともと私が経営する「自給自足農園」の情報発信・PR用のものだったのですが、全面的にリニューアルして上記のような内容にすることにしました。もちろん、自給自足生活についても書いていくつもりです。未来を見据えた「平成史」は出来上がるのでしょうか、全く自信はありませんが、日常の片隅で、息を潜めながら考えて生きたいと思います。御意見やお問い合わせはこちらへお願いします。(2018.1.6)

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